2007年11月23日
前期に頑張って研究していたのに、最近研究のペースが落ちている学生さんが居る。その学生さんは少し指導しただけで、自発的に研究を進めることが出来て、理解力、行動力に優れている。僕もかなり期待していた。
しかし、後期になってから、研究のペースがかなり遅い。たまりかねて、「そんなペースでやっていても良いと思っているんですか?」と聞いたら、「これから頑張るから大丈夫です。」と言った。少々腹が立った。大丈夫かどうかの判断は、自分だけで出来るものではなく、私と相談すべきだと思ったからである。まぁ、しかし、ぐっとこらえて、様子を見ることにした。しかし、やはり、その後も、研究のペースが遅く、報告にも来ない。たまりかねて、「一週間に一度は成果を報告してください。失敗して研究が進まない場合にはサポートできますから。」と伝えた。しかし、最近、前回の報告から二週間目になっても報告に来なかった。研究もあまり進んでいないようである。たまりかねて、今日、その学生さんに言った。ゆっくりと落ち着いて、座って、面と向かって。
「成果の報告の頻度が遅すぎます。こんな頻度では、卒業論文の単位は認められません。」
すると、その学生さんは言った。「分かっています。」
僕は続けた。「成果を出せば良いというものでもありません。それなら、成果が1カ月で十分に出たら、あとの11ヶ月は何もしないでも良いということではありませんから。むしろ、成果よりも、失敗しても、次に何をするのか考え、相談し、やってみるという繰り返しが重要です。失敗して、失敗したからといって、1 週間放置していたら、遅くなります。むしろ、失敗したらこまめに、頻繁に報告してください。僕の言ったことをやって失敗することも多いと思います。そんなとき、放置せずに、できるだけ早く、すぐにでも、せめて一日ごとに失敗や成果を報告してください。わかりましたか。」と言った。
すると、その学生さんは私に聞いた。「私の思うようにやれ(ば良い)と言うことですか?」
私にはその学生さんが何を言っているのか、理解出来なかった。なぜ、そういう理解につながるのか?
私は理解できないままに必死に考えて、答えた。「反対です。むしろ、頻繁に報告して相談してくださいということです。」さらに考えて、言った。「ただし、私に相談しても失敗するから、相談せずに自分でやりたいようにしたいというのなら、私もそういう覚悟で対応します。卒論に見合う成果を出せたと私が判断したら、それでも良いですけど。」
そして、言った。「問題は何だと思いますか?研究テーマが悪い?私の指導が悪い?」
その後は、研究の進め方について相談しました。
家に帰るときにやっと考える時間が持てたので、その学生さんがなぜ途中であんなことを聞いたのかを考えました。もしかして、「報告の頻度が遅すぎます」を私が言い違えて、「報告の頻度が多すぎます」とでも言ってしまったのだろうか?それとも、そのように聞き間違えられたとか。それじゃ、漫才だ。
家内に帰ってから相談してみた。すると、家内が一言。「あなたから見捨てられた(見放された)とでも勘違いしたんじゃないの?」なるほど。そう思ったのかもしれない。むしろ、まったく逆なのだが。
伝え方がまずかったのかもしれない。残念。
もしかして、「私の思うように」の「私」というのは、言った学生さん本人のことではなく、鈴木清のことだったのだろうか?誰が研究の進め方、つまり学生さん本人が行うべきことを決めるかということを議論したかったのでは無い。単純に、報告の頻度が少な過ぎる、端的に言えば、研究の進む速さが遅すぎるので、急いで行って、結果が出たらすぐに相談に来てくれということなのだ。研究の進め方は、今までどおり、学生さん本人と私、鈴木が相談して決めるのである。どうも、話をはぐらかされているような気がする。
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