小学校などで「命の大事さ」の教育が必要だとか言われているが、そんなもの、物心付いたら、すぐに教えるべきだ。義務教育に任せる必要も無い。家庭で保護者が教えるべきことだ。
私が小学校くらいのころ、弟が0歳で亡くなった。それで、子供ながらに考えた。死んだらどうなるのだろうか?と。知っていた人が数名、自殺して亡くなっている。近所で楽しくお話しさせていただいていた方が、病気や高齢で亡くなられている。可愛がってくれた祖父母も亡くなった。とても楽しく付き合ってくださった義父も亡くなられた。
とてつもなく、悲しいし、寂しいし、残念だ。
仏教では輪廻転生なんてことが言われているし、地獄や天国、三途の川やあの世なんてことも言われている。でも、私は死んだら終わりだと思う。確証は無い。
もちろん、亡くなった方を、生きている人が思い出したり、イメージして心の中で話しかけたりすることはよくあるが、それは、亡くなられた方が主体的に思考しているわけではない。私は生きて、考えていたい。
好きなドラゴンボールでも、死者が簡単に復活するが、そこだけは嫌いだ。どうも、有害な考えを助長するようなアニメや漫画や映画が世には溢れすぎだと思う。
長崎県佐世保市女子児童殺害事件(いわゆるNEVADA事件)でも、殺人者はバトルロワイヤルが好きだったらしい。少年誌ジャンプでも、人を惨殺したり、人の痛みを喜ぶ変態の描写がある。漫画はマンガ、現実は現実と分けられないような人間には読ませてはいけない。
殺される側の気持ちを考えてみれば、殺す気には絶対になれない。私は死にたくないからだ。
いじめられる側の気持ちを考えてみれば、いじめる気にはなれない。いじめられたくないからだ。
そのような相手の立場になって考えることができない、未熟な者に、有害なアニメなどは見せてはいけない。
命は大切だ。そんなことも教えてもらっていない、もしくは気づけていない人間は愚かすぎる。
我々人間は多くの他の生き物の命を犠牲にして生きている。今朝も、小エビを大量に食べた。牛、豚、鶏、魚、沢山の命を犠牲にしている。申し訳ないことだ。かと言って、菜食主義にはなっていないのだが。
2014年8月3日日曜日
自分の気に要らないからとか人を殺したいからとかの理由で殺人した人は容赦なく死刑にすべき
私は死ぬのが怖い。まぁ、それだけ幸せだからだろう。健康だし、特に痛いところもないし、食事にありつけるし、人間関係によるもめごとも特には無い。
それで、朝、目が覚めると、気分が悪くない限り、神(?)様にお礼を申し上げている。
今日も健康に生きております。有難うございます。
もちろん、病や怪我による痛みで、死にたくなる人もおられるだろう。
精神的な苦痛で生きているのが辛い人もいるだろう。
でも、そのようなことがなければ、私はずっと生きていたい。
なのに、他の人に、「お前が気に入らないから」とか「誰でも良いから人を殺したかったから」などの理由で殺されたとしたら・・・
そんなもの、許せるわけがない。
どうも、日本は加害者に対して甘すぎる。
精神的に障害があったり、責任能力がないとかの理由で刑が軽くなるようなことがあるようだが、そんなことは理解できない。
精神的に障害があって、人を殺したのなら、精神的に問題が無い人よりもよっぽど危険で問題ではないか?
人を殺すことがいけないことだと分かっていない人・・・?そんな奴、危険過ぎるから、早く死刑にした方が良い。
年も性別も人種も境遇も家庭環境も関係ない。「自分の気に要らないから」とか「殺したいから」という理由で人を殺した人は死刑。それで何の問題があるのか?
死刑するに当たって、憎しみや哀れみなどの感情は一切、不要。
人を殺したいと思う奴に同情する必要は無い。
命の大事さが分からない者に同情する必要は無い。
このような気持ちは、
http://www.youtube.com/watch?v=aUB0Rk9ab3w
のビデオで武田鉄矢さんが演じている人が述べていることに近い。
さらに、成人していないから(少年法)とか精神的におかしいからとか、責任能力がないからという理由で、人を殺しても罪が軽減されるということを利用しようとする奴もいるだろう。
精神鑑定などを行う理由として、危険人物を拘留する時間を長くするためということもあるのかもしれない。日本では二人以上を殺さないと死刑にならない場合が多そうだ。死刑にならなければ、無期懲役でも良いのだろうが、無期懲役にするにしても、刑務所に入れておくだけでもお金も労力も必要になる。だからこそ、死刑にすべきだ。
お金の問題では無いことは分かってはいるが、死刑にせずに精神病院に入れたり、刑務所に入れたりしても、その人を生きながらえさせるために、かなりのお金もかかる。公正させようとするのにも労力やお金がかかる。また、刑期を終えて、刑務所や病院から社会に復帰しても、犯罪者ということが他の人に分かっていれば、再就職なども困難であり、そのために再度犯罪を起こす可能性もある。なので、いっそのこと、死刑にした方が良い。
私はどれだけ腹が立っても、目の前に居る人を殺したいと思ったことは無い。殴りたいと思ったことはある。でも、怪我をさせたいとか障害を残したいとか思ったことはない。間違ったことだと思ったら、口で指摘する。北朝鮮などの独裁者達や、教育を求める女子を殺すようなイスラム過激主義の奴らは話しても分かるような人間ではなさそうなので、死んだ方が良いと思っているが、殺したいとは思わない。
自爆テロをする人が居る。
息子を殺された、嫁さんを殺された、父を殺されたなど、家族や親しい人、友人を殺されたという理由で、敵を憎んで殺そうとする人も居るだろう。
そのような人に対しては同情の念も起こる。でも、あえて、憎しみで他の人を殺した人も死刑にすべき。
というわけで、イスラエルやハマスで戦争をして人を殺した人も死刑。
もちろん、そのように戦争を指導した(直接には人を殺していなくても、敵兵を殺すように指導した)指導者も全員死刑。
難しいのは、人を殺したくなかったが、戦争などで上官に命令されて、従わないと自分が殺されるから、仕方なく敵兵を殺した人。
このような人を死刑にすべきかどうかは分からない。
それで、朝、目が覚めると、気分が悪くない限り、神(?)様にお礼を申し上げている。
今日も健康に生きております。有難うございます。
もちろん、病や怪我による痛みで、死にたくなる人もおられるだろう。
精神的な苦痛で生きているのが辛い人もいるだろう。
でも、そのようなことがなければ、私はずっと生きていたい。
なのに、他の人に、「お前が気に入らないから」とか「誰でも良いから人を殺したかったから」などの理由で殺されたとしたら・・・
そんなもの、許せるわけがない。
どうも、日本は加害者に対して甘すぎる。
精神的に障害があったり、責任能力がないとかの理由で刑が軽くなるようなことがあるようだが、そんなことは理解できない。
精神的に障害があって、人を殺したのなら、精神的に問題が無い人よりもよっぽど危険で問題ではないか?
人を殺すことがいけないことだと分かっていない人・・・?そんな奴、危険過ぎるから、早く死刑にした方が良い。
年も性別も人種も境遇も家庭環境も関係ない。「自分の気に要らないから」とか「殺したいから」という理由で人を殺した人は死刑。それで何の問題があるのか?
死刑するに当たって、憎しみや哀れみなどの感情は一切、不要。
人を殺したいと思う奴に同情する必要は無い。
命の大事さが分からない者に同情する必要は無い。
このような気持ちは、
http://www.youtube.com/watch?v=aUB0Rk9ab3w
のビデオで武田鉄矢さんが演じている人が述べていることに近い。
さらに、成人していないから(少年法)とか精神的におかしいからとか、責任能力がないからという理由で、人を殺しても罪が軽減されるということを利用しようとする奴もいるだろう。
精神鑑定などを行う理由として、危険人物を拘留する時間を長くするためということもあるのかもしれない。日本では二人以上を殺さないと死刑にならない場合が多そうだ。死刑にならなければ、無期懲役でも良いのだろうが、無期懲役にするにしても、刑務所に入れておくだけでもお金も労力も必要になる。だからこそ、死刑にすべきだ。
お金の問題では無いことは分かってはいるが、死刑にせずに精神病院に入れたり、刑務所に入れたりしても、その人を生きながらえさせるために、かなりのお金もかかる。公正させようとするのにも労力やお金がかかる。また、刑期を終えて、刑務所や病院から社会に復帰しても、犯罪者ということが他の人に分かっていれば、再就職なども困難であり、そのために再度犯罪を起こす可能性もある。なので、いっそのこと、死刑にした方が良い。
私はどれだけ腹が立っても、目の前に居る人を殺したいと思ったことは無い。殴りたいと思ったことはある。でも、怪我をさせたいとか障害を残したいとか思ったことはない。間違ったことだと思ったら、口で指摘する。北朝鮮などの独裁者達や、教育を求める女子を殺すようなイスラム過激主義の奴らは話しても分かるような人間ではなさそうなので、死んだ方が良いと思っているが、殺したいとは思わない。
自爆テロをする人が居る。
息子を殺された、嫁さんを殺された、父を殺されたなど、家族や親しい人、友人を殺されたという理由で、敵を憎んで殺そうとする人も居るだろう。
そのような人に対しては同情の念も起こる。でも、あえて、憎しみで他の人を殺した人も死刑にすべき。
というわけで、イスラエルやハマスで戦争をして人を殺した人も死刑。
もちろん、そのように戦争を指導した(直接には人を殺していなくても、敵兵を殺すように指導した)指導者も全員死刑。
難しいのは、人を殺したくなかったが、戦争などで上官に命令されて、従わないと自分が殺されるから、仕方なく敵兵を殺した人。
このような人を死刑にすべきかどうかは分からない。
2014年7月5日土曜日
自分(神)の考えと違う人を殺して良いと説くような神は、神ではない
悪魔である。
シリアも、イスラエルとパレスチナも、どうなっているんだろうか。
シリア内戦で亡くなった3歳の少年が最後に残した言葉! 世界中が心を揺さぶられた
http://tocana.jp/2014/02/post_3595_entry.htm
シリアも、イスラエルとパレスチナも、どうなっているんだろうか。
シリア内戦で亡くなった3歳の少年が最後に残した言葉! 世界中が心を揺さぶられた
http://tocana.jp/2014/02/post_3595_entry.htm
2014年6月7日土曜日
思考する─だまされるな!その3
今回は息子が見つけてくれたものをご紹介。
『小学生/中学生・知の祭典 算数オリンピック問題集(2013年度版)』の476ページに、
11年度の「ジュニア算数オリンピックトライアル問題」の「問題7」がある。
それは次のようなものだ。
「あるロボット工場では,A型とB型の2種類のロボットが作られています。A型ロボットは大小を1<2<3<4<5と認識します。一方で,B型ロボットは大小を1>2>3>4>5と認識しています。いま,5体のロボット,マーク,ケン,ジョン,サムス,タロウがいます。それぞれのロボットはA型かB型のどちらかで,1~5の番号がついています。
マーク:ワタシはもっとも大きい数字がついたロボットです。
ケン:ボクより大きい数字のついたA型ロボットと小さい数字のついたA型ロボットがいます。
ジョン:ボクにはもっとも小さい数字がついています。
サムス:ワタシより大きい数字のついたA型ロボットはいません。
タロウ:ボクの次に大きいロボットはA型ロボットです。
それぞれのロボットの種類とついている数字を求めなさい。」
息子は上の問題を解こうとして、彼らの言葉を全て満たすことができないと言って、困っていた。
息子は次のように考えていた。
5体のロボットのそれぞれの数字は全て異なる。(同じ数字のついたロボットは居ない。)
マークとジョンの言葉から、マークがA5でジョンがA1なのか、もしくはマークがB1でジョンがB5であるかのどちらかである。
さらにサムスの言葉から、マークがB1でジョンがB5であることが確定する。
さらにケンの言葉から、サムスとタロウはA型ロボットであり、ケンの数字が3であることが分かる。サムスの言葉を思い起こせば、サムスがA4、タロウがA2であることが分かる。
ここまで、つまり、タロウの言葉を無視すれば、矛盾が無い。
しかし、 タロウの言葉を、「ボクについている数字より次に大きい数字のついたロボットはA型ロボットです」と解釈し、「次に大きい数字」というのが、一つだけ小さい数字という意味ならば、数字の1がついたロボット、すなわちマークはA型ロボットでなければならず、マークがB型ロボットであることと矛盾する。
以上のように私も考えた。
そこで、この矛盾をなくすために、私は、
タロウの「ボクの次に大きい」というのは体格が大きいという意味である
とか
タロウは嘘つきである(もしくは故障している)
とか
そもそも、同じ数字のついたロボットが居る
とか考えたのだが、そのようにすると、答えが一つに定まらない。
これは答えが一つに定まらないということで、本に書いてある答えを家内に読んでもらったら、答えには
「正答率100%
問題に不備がありました.
『タロウ:ボクの次に大きいロボットはA型ロボットです.』の部分が,正しくは『タロウ:ボクの次に小さいロボットはA型ロボットです.』の間違いでした。
「大きい」のままでは解答が出ない問題となってしまうため,この問題については全員に得点を与えることとしました.」
と書かれていた。
問題がおかしいことに気づいた息子を褒めてやった。
正しく思考すれば、騙されない。
『小学生/中学生・知の祭典 算数オリンピック問題集(2013年度版)』の476ページに、
11年度の「ジュニア算数オリンピックトライアル問題」の「問題7」がある。
それは次のようなものだ。
「あるロボット工場では,A型とB型の2種類のロボットが作られています。A型ロボットは大小を1<2<3<4<5と認識します。一方で,B型ロボットは大小を1>2>3>4>5と認識しています。いま,5体のロボット,マーク,ケン,ジョン,サムス,タロウがいます。それぞれのロボットはA型かB型のどちらかで,1~5の番号がついています。
マーク:ワタシはもっとも大きい数字がついたロボットです。
ケン:ボクより大きい数字のついたA型ロボットと小さい数字のついたA型ロボットがいます。
ジョン:ボクにはもっとも小さい数字がついています。
サムス:ワタシより大きい数字のついたA型ロボットはいません。
タロウ:ボクの次に大きいロボットはA型ロボットです。
それぞれのロボットの種類とついている数字を求めなさい。」
息子は上の問題を解こうとして、彼らの言葉を全て満たすことができないと言って、困っていた。
息子は次のように考えていた。
5体のロボットのそれぞれの数字は全て異なる。(同じ数字のついたロボットは居ない。)
マークとジョンの言葉から、マークがA5でジョンがA1なのか、もしくはマークがB1でジョンがB5であるかのどちらかである。
さらにサムスの言葉から、マークがB1でジョンがB5であることが確定する。
さらにケンの言葉から、サムスとタロウはA型ロボットであり、ケンの数字が3であることが分かる。サムスの言葉を思い起こせば、サムスがA4、タロウがA2であることが分かる。
ここまで、つまり、タロウの言葉を無視すれば、矛盾が無い。
しかし、 タロウの言葉を、「ボクについている数字より次に大きい数字のついたロボットはA型ロボットです」と解釈し、「次に大きい数字」というのが、一つだけ小さい数字という意味ならば、数字の1がついたロボット、すなわちマークはA型ロボットでなければならず、マークがB型ロボットであることと矛盾する。
以上のように私も考えた。
そこで、この矛盾をなくすために、私は、
タロウの「ボクの次に大きい」というのは体格が大きいという意味である
とか
タロウは嘘つきである(もしくは故障している)
とか
そもそも、同じ数字のついたロボットが居る
とか考えたのだが、そのようにすると、答えが一つに定まらない。
これは答えが一つに定まらないということで、本に書いてある答えを家内に読んでもらったら、答えには
「正答率100%
問題に不備がありました.
『タロウ:ボクの次に大きいロボットはA型ロボットです.』の部分が,正しくは『タロウ:ボクの次に小さいロボットはA型ロボットです.』の間違いでした。
「大きい」のままでは解答が出ない問題となってしまうため,この問題については全員に得点を与えることとしました.」
と書かれていた。
問題がおかしいことに気づいた息子を褒めてやった。
正しく思考すれば、騙されない。
2014年6月1日日曜日
思考する-だまされるな!その2
ティエラオープン模試(2014年5月31日)の小学生5年向けの理科の□4番の(3)の答えがおかしいと思う。
問題は次のようなものだ。
□4 空気や水の性質を調べる実験について、あとの問いに答えなさい。
[実験1] 図1のように、20mLの空気をとじこめた注射器のピストンを押した。
<鈴木が中略>
(3) 注射器の中の空気の体積が15mLになるようにピストンをおした状態で、注射器の向きをいろいろ変えました。次のうち、ピストンをおす手ごたえが最も大きくなるのは、注射器の先をどちらに向けたときですか。1つ選び、記号で答えなさい。
ア 真上 イ 真横 ウ 真下 エ どちらに向けても変わらない。
以上が問題の文章。
図1には 注射器(外側の筒に、先端にゴムらしきものがついたピストンが刺さっていて、先頭のゴムと注射筒に囲まれた部分に空気が入っていて、注射器の先にはゴム管が付いていて、そのゴム管は途中でピンチコックで閉じられている。筒とピストンは水平に描かれている。
能力開発センターの答案には、「エ」が正解とされているが、常識的に考えれば、「ア」が正しい。
常識的に考えるというのは、次の状況を仮定するということだ。すなわち、重力があり、また特に問題文に記されていないので、ピストンには質量があるということだ。
また、「ピストンをおす手ごたえ」というのは、「注射器の筒が固定された状態で、ピストンを静止させるために、ピストンに接触している手からピストンに対して加えられる力の大きさ」という意味だと考えるべきだろう。
問題作成者の意図は分かる。空気を押し縮めると圧力が上がること、その圧力の大きさは、向きによらず一定であることを問いたいのだろう。
「ピストンの質量は無視してよい」とか、「重力の影響は無視する」とかの但し書きを付けるべきだったのである。
ちなみに、常識的に考えると、水平状態で20mLの空気が入っている場合のその空気の圧力と、注射器の外側の空気の圧力は同じだろう。
注射器のピストンを外側の空気が押す力も考慮すべきであることは言うまでも無い。
問題は次のようなものだ。
□4 空気や水の性質を調べる実験について、あとの問いに答えなさい。
[実験1] 図1のように、20mLの空気をとじこめた注射器のピストンを押した。
<鈴木が中略>
(3) 注射器の中の空気の体積が15mLになるようにピストンをおした状態で、注射器の向きをいろいろ変えました。次のうち、ピストンをおす手ごたえが最も大きくなるのは、注射器の先をどちらに向けたときですか。1つ選び、記号で答えなさい。
ア 真上 イ 真横 ウ 真下 エ どちらに向けても変わらない。
以上が問題の文章。
図1には 注射器(外側の筒に、先端にゴムらしきものがついたピストンが刺さっていて、先頭のゴムと注射筒に囲まれた部分に空気が入っていて、注射器の先にはゴム管が付いていて、そのゴム管は途中でピンチコックで閉じられている。筒とピストンは水平に描かれている。
能力開発センターの答案には、「エ」が正解とされているが、常識的に考えれば、「ア」が正しい。
常識的に考えるというのは、次の状況を仮定するということだ。すなわち、重力があり、また特に問題文に記されていないので、ピストンには質量があるということだ。
また、「ピストンをおす手ごたえ」というのは、「注射器の筒が固定された状態で、ピストンを静止させるために、ピストンに接触している手からピストンに対して加えられる力の大きさ」という意味だと考えるべきだろう。
問題作成者の意図は分かる。空気を押し縮めると圧力が上がること、その圧力の大きさは、向きによらず一定であることを問いたいのだろう。
「ピストンの質量は無視してよい」とか、「重力の影響は無視する」とかの但し書きを付けるべきだったのである。
ちなみに、常識的に考えると、水平状態で20mLの空気が入っている場合のその空気の圧力と、注射器の外側の空気の圧力は同じだろう。
注射器のピストンを外側の空気が押す力も考慮すべきであることは言うまでも無い。
2014年4月2日水曜日
「制度上できません」は無能の証
職場でお話しした方でも、Ubuntu日本語フォーラムでも、何か問題が生じたときに、解決策を見出そうとしたら、私のやろうとしていることは「制度上、できません」と指摘する人が居ました。
自然法則など、人間が決めたものではないこと、それに逆らうことをしようとして、それが「できません」というのとは根本的に異なります。例えば、万有引力を消し去るとか、永久機関を作るとか、そういうのが「できません」というのは、科学的知識を有しているという、優れた判断能力でしょう。
また、自然法則ではなくても、人間の性とか、そういう一般的なことを観察して、それに反することは「できません」というのも、判断能力が高いということになると思います。
でも、人間が便利にするために作り上げたもの、たとえば、OSだとか、インターネットだとか、そのようなものについて、「制度上できません」というのは、その仕組みをよく理解していないから、その仕組みを改変することもできないから、行いたいことを何とか実現可能にするための方策を考えることが(その人は)「できません」という、発言者の無能さを露呈する言葉に過ぎないと思います。
もちろん、その制度を知っているということで、知識は優れた人でしょう。でも、解決策を考えるという思考能力の乏しい人だということになります。あるいは、考えるのは面倒なので止めたという、考えるのが面倒だと思う人だということです。覚えるという勉強はできても、問題解決のための思考能力はないという「(制度に従順に従う)おりこうさん」だということです。
そんな人に関わると時間の無駄なので、関わらない方が良いです。知識があればあるほど、「こういうことは禁止されている」とか、「それもしてはいけないことになっている」「そういう制度は用意されていない」とか次々に既存の制度を羅列されて批判されるだけです。
なぜ、他の人が押し付けた”制度”にそれほど縛られるのか?
制度至上主義であり、制度によって人の夢がつぶされても良いと考えているのでしょう。
余段ですが、タクティクスオウガで言えば、LAWでしょう。まぁ、場合によっては、私の目指していることが、私だけの利益にしか結びつかないことであり、社会全体からして損をすることだということで、「賛成できない。協力できない。」ということも往々にしてあった可能性もありますが。
頭ってのは、現存する問題を解決するために、既存の考え方を打破するために付いているのですから。
ムヒカ大統領も言ってました。
「発展は幸福を阻害するものであってはいけない」
あ、日本語ではなくて、誰か他の人が訳したものなので、実際にムヒカさんがおっしゃったのはニュアンスが若干異なるかもしれませんが。
私は思っています。
幸福を阻害する法律なら改正すれば良い。
幸福を阻害する神は、神のお面をかぶった悪魔なので、信じてはいけない。
もっと、幸福を追求することに自信を持てば良いと思うのですが。
自然法則など、人間が決めたものではないこと、それに逆らうことをしようとして、それが「できません」というのとは根本的に異なります。例えば、万有引力を消し去るとか、永久機関を作るとか、そういうのが「できません」というのは、科学的知識を有しているという、優れた判断能力でしょう。
また、自然法則ではなくても、人間の性とか、そういう一般的なことを観察して、それに反することは「できません」というのも、判断能力が高いということになると思います。
でも、人間が便利にするために作り上げたもの、たとえば、OSだとか、インターネットだとか、そのようなものについて、「制度上できません」というのは、その仕組みをよく理解していないから、その仕組みを改変することもできないから、行いたいことを何とか実現可能にするための方策を考えることが(その人は)「できません」という、発言者の無能さを露呈する言葉に過ぎないと思います。
もちろん、その制度を知っているということで、知識は優れた人でしょう。でも、解決策を考えるという思考能力の乏しい人だということになります。あるいは、考えるのは面倒なので止めたという、考えるのが面倒だと思う人だということです。覚えるという勉強はできても、問題解決のための思考能力はないという「(制度に従順に従う)おりこうさん」だということです。
そんな人に関わると時間の無駄なので、関わらない方が良いです。知識があればあるほど、「こういうことは禁止されている」とか、「それもしてはいけないことになっている」「そういう制度は用意されていない」とか次々に既存の制度を羅列されて批判されるだけです。
なぜ、他の人が押し付けた”制度”にそれほど縛られるのか?
制度至上主義であり、制度によって人の夢がつぶされても良いと考えているのでしょう。
余段ですが、タクティクスオウガで言えば、LAWでしょう。まぁ、場合によっては、私の目指していることが、私だけの利益にしか結びつかないことであり、社会全体からして損をすることだということで、「賛成できない。協力できない。」ということも往々にしてあった可能性もありますが。
頭ってのは、現存する問題を解決するために、既存の考え方を打破するために付いているのですから。
ムヒカ大統領も言ってました。
「発展は幸福を阻害するものであってはいけない」
あ、日本語ではなくて、誰か他の人が訳したものなので、実際にムヒカさんがおっしゃったのはニュアンスが若干異なるかもしれませんが。
私は思っています。
幸福を阻害する法律なら改正すれば良い。
幸福を阻害する神は、神のお面をかぶった悪魔なので、信じてはいけない。
もっと、幸福を追求することに自信を持てば良いと思うのですが。
2014年2月1日土曜日
ゆげの定義(辞書でも間違い)
息子の理科のテストで、
ゆげが気体か液体かという問題があり、息子は気体と答えていたのだが、答えには液体と書いてあったようで、私に質問してきた。
よく問題を読むと、問題には、ビーカーの中の水をバーナーで加熱している様子が書かれており、水の少し上は透明で、その上が白く曇っているように書かれていて、透明な部分が何なのかが問われていた。息子は、水の少し上の透明な部分を水蒸気と答えて正解していた。問題ではさらに、その上の白く曇った部分を「ゆげ」と記して、湯気は固体、液体、気体のどれかと問われていた。
「ゆげ」の定義が問題だが、問題では、水のかなり上の白く曇った部分を指しているので、そこは水蒸気と、水滴と空気の混ざった部分となり、偏屈な私なら、「気体と液体」と答えて×をされていただろう。
「ゆげ」が水滴とか水蒸気とか空気とかを含んだ部分を指すのか、それとも、凝縮した水滴を指すのかが分からなかったので、息子と辞書でひいてみた。
岩波国語辞典第4版には、以下のように記されていた。
<引用>
ゆげ【湯気】湯などの表面から立ちのぼる水蒸気
<引用はここまで>
そこで、「水蒸気」を調べると、同じく岩波国語辞典第4版には、以下のように記されていた。
<引用>
【水蒸気】水が蒸発して気体となったもの。気体状態の水。
<引用はここまで>
とあるので、岩波の国語辞典によれば、テストに記されている水のかなり上の白く曇った部分は「ゆげ」では無い。気体状態の水は白くは曇らないからだ。
おかしいとおもって、小学館の学習国語新辞典(全訂第二版)で調べてみた。そこには以下のように記されていた。
<引用>
ゆげ【湯気】湯からたちのぼる水蒸気がひえて、ごく小さな水玉となって、煙のように見えるもの。
<引用はここまで>
これだと、湯気が水滴だけを指すのではなく、水蒸気と水滴の混じり物を意味するようにも考えられる。
息子の使っている教科書:東京書籍『新しい理科4』によると、
<引用>
湯気は,小さい水のつぶで,水じょう気ではない。
<引用はここまで>
とあるので、これを答えさせたかったのだろう。
でも、湯気って、本当は、何を意味するのだろう?
ゆげが気体か液体かという問題があり、息子は気体と答えていたのだが、答えには液体と書いてあったようで、私に質問してきた。
よく問題を読むと、問題には、ビーカーの中の水をバーナーで加熱している様子が書かれており、水の少し上は透明で、その上が白く曇っているように書かれていて、透明な部分が何なのかが問われていた。息子は、水の少し上の透明な部分を水蒸気と答えて正解していた。問題ではさらに、その上の白く曇った部分を「ゆげ」と記して、湯気は固体、液体、気体のどれかと問われていた。
「ゆげ」の定義が問題だが、問題では、水のかなり上の白く曇った部分を指しているので、そこは水蒸気と、水滴と空気の混ざった部分となり、偏屈な私なら、「気体と液体」と答えて×をされていただろう。
「ゆげ」が水滴とか水蒸気とか空気とかを含んだ部分を指すのか、それとも、凝縮した水滴を指すのかが分からなかったので、息子と辞書でひいてみた。
岩波国語辞典第4版には、以下のように記されていた。
<引用>
ゆげ【湯気】湯などの表面から立ちのぼる水蒸気
<引用はここまで>
そこで、「水蒸気」を調べると、同じく岩波国語辞典第4版には、以下のように記されていた。
<引用>
【水蒸気】水が蒸発して気体となったもの。気体状態の水。
<引用はここまで>
とあるので、岩波の国語辞典によれば、テストに記されている水のかなり上の白く曇った部分は「ゆげ」では無い。気体状態の水は白くは曇らないからだ。
おかしいとおもって、小学館の学習国語新辞典(全訂第二版)で調べてみた。そこには以下のように記されていた。
<引用>
ゆげ【湯気】湯からたちのぼる水蒸気がひえて、ごく小さな水玉となって、煙のように見えるもの。
<引用はここまで>
これだと、湯気が水滴だけを指すのではなく、水蒸気と水滴の混じり物を意味するようにも考えられる。
息子の使っている教科書:東京書籍『新しい理科4』によると、
<引用>
湯気は,小さい水のつぶで,水じょう気ではない。
<引用はここまで>
とあるので、これを答えさせたかったのだろう。
でも、湯気って、本当は、何を意味するのだろう?
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