他者と一緒に作業をすると、他者との意見の不一致は必ず起こる。
そんなとき、正論で相手を言い負かす(相手の意見をねじふせる)ことは、良い解決策ではない。
言い負かされた相手は、頭では相手の言っていることが正しいと分かっていても、自分を言い負かした相手に喜んで協力する気にはなかなかなれないからだ。
それよりも、「お互いに知恵を出し合って、より良いアイデアを出しましょう。」という態度が良い。
もちろん、他者との協力関係が無くなってしまっても良い場合、例えば、裁判で訴える側と訴えられている側の間の弁論では、相手を言い負かすことが重要だろう。
でも、他者との協力関係を維持しつつ、意見の不一致のある場合の対処方法としては、言い負かすことは最善策ではない。
時には、様々な人の利益を損ねないために、矛盾も生じる。
T先生は、
大人とは、矛盾を内包しながら、それでも円滑に日々をこなしていくことができる人
(細かい語句は間違っているかもしれません)
と言われていた。
子供は、正論を求める。この辺は、『正義を求める少年』にも、(本意ではないものの)書こうとしていた。
言い方も大事だ。
丁寧な言い方に努める必要がある。
ある人のWEB上での言動を見ていて、本当にそう思う。
場合によっては、自分も少々は悪いが、相手の方が悪いと思っていても、「ごめんなさい」と相手に謝ることも必要だ。
あ、自分も反省しないと・・・。
身から出た錆で、身動きが取れなくならないように・・・。
日本人は、自分の意見をはっきり示さないので、交渉の際にトラブルを引き起こしたり、交渉で自分の利益をうまく追求できない・・・なんて言われる。
でも、農耕民族で、他者と協力して作業することが必要だった日本人にとっては、他人の表情を伺ったり、他者との意見の不一致が生じそうな場合に自分の意見をやんわりと伝えるというのは、うまく生きるための術だったのかもしれない。
私
が出くわしたことのある中国の人には、互いの利益が対立した場合に、相手を面と向かって強く避難・批判する人が多かった。「中国では(国が広いので)相手
にもう一度会うことなどめったに無いからだ」と誰かが言っていた。少し昔に他の人から聞いた話だが、中国で車同士で交通事故があると、周りに野次馬の人だ
かりができるらしい。助けに来たのではない。口喧嘩を見にくるらしいのだ。いかに相手を言い負かすか、その言い回しを聞きに来るらしい。
中国人が悪いわけではない。育った風土が異なれば、人間の性質も当然異なるということだ。
インターネット上で世界中の人が参加するフォーラムでは、色々な素性の人とコミュニケーションすることがある。私も色々と、嫌なことも書かれた。相手の書き方の悪さを指摘したら、「俺はスラムで生まれたから、書き方が乱暴なんだ。(だから許してくれ)」みたいに書いてきた人も居た。
これから、日本に留まらず、世界に出て仕事をすることがますます多くなってくるだろう。
英語能力だけではなく、交渉能力、他者との円滑な協力関係の構築能力も必要になってくると思われる。
意外と、日本人の「だめ」と言われている能力が有効に働く場合があるのかもしれない。