2014年8月3日日曜日

命の大事さ

小学校などで「命の大事さ」の教育が必要だとか言われているが、そんなもの、物心付いたら、すぐに教えるべきだ。義務教育に任せる必要も無い。家庭で保護者が教えるべきことだ。

私が小学校くらいのころ、弟が0歳で亡くなった。それで、子供ながらに考えた。死んだらどうなるのだろうか?と。知っていた人が数名、自殺して亡くなっている。近所で楽しくお話しさせていただいていた方が、病気や高齢で亡くなられている。可愛がってくれた祖父母も亡くなった。とても楽しく付き合ってくださった義父も亡くなられた。
とてつもなく、悲しいし、寂しいし、残念だ。

仏教では輪廻転生なんてことが言われているし、地獄や天国、三途の川やあの世なんてことも言われている。でも、私は死んだら終わりだと思う。確証は無い。

もちろん、亡くなった方を、生きている人が思い出したり、イメージして心の中で話しかけたりすることはよくあるが、それは、亡くなられた方が主体的に思考しているわけではない。私は生きて、考えていたい。

好きなドラゴンボールでも、死者が簡単に復活するが、そこだけは嫌いだ。どうも、有害な考えを助長するようなアニメや漫画や映画が世には溢れすぎだと思う。
長崎県佐世保市女子児童殺害事件(いわゆるNEVADA事件)でも、殺人者はバトルロワイヤルが好きだったらしい。少年誌ジャンプでも、人を惨殺したり、人の痛みを喜ぶ変態の描写がある。漫画はマンガ、現実は現実と分けられないような人間には読ませてはいけない。

殺される側の気持ちを考えてみれば、殺す気には絶対になれない。私は死にたくないからだ。

いじめられる側の気持ちを考えてみれば、いじめる気にはなれない。いじめられたくないからだ。

そのような相手の立場になって考えることができない、未熟な者に、有害なアニメなどは見せてはいけない。

命は大切だ。そんなことも教えてもらっていない、もしくは気づけていない人間は愚かすぎる。

我々人間は多くの他の生き物の命を犠牲にして生きている。今朝も、小エビを大量に食べた。牛、豚、鶏、魚、沢山の命を犠牲にしている。申し訳ないことだ。かと言って、菜食主義にはなっていないのだが。

自分の気に要らないからとか人を殺したいからとかの理由で殺人した人は容赦なく死刑にすべき

私は死ぬのが怖い。まぁ、それだけ幸せだからだろう。健康だし、特に痛いところもないし、食事にありつけるし、人間関係によるもめごとも特には無い。
それで、朝、目が覚めると、気分が悪くない限り、神(?)様にお礼を申し上げている。
今日も健康に生きております。有難うございます。

もちろん、病や怪我による痛みで、死にたくなる人もおられるだろう。
精神的な苦痛で生きているのが辛い人もいるだろう。
でも、そのようなことがなければ、私はずっと生きていたい。

なのに、他の人に、「お前が気に入らないから」とか「誰でも良いから人を殺したかったから」などの理由で殺されたとしたら・・・

そんなもの、許せるわけがない。

どうも、日本は加害者に対して甘すぎる。

精神的に障害があったり、責任能力がないとかの理由で刑が軽くなるようなことがあるようだが、そんなことは理解できない。

精神的に障害があって、人を殺したのなら、精神的に問題が無い人よりもよっぽど危険で問題ではないか?

人を殺すことがいけないことだと分かっていない人・・・?そんな奴、危険過ぎるから、早く死刑にした方が良い。
 年も性別も人種も境遇も家庭環境も関係ない。「自分の気に要らないから」とか「殺したいから」という理由で人を殺した人は死刑。それで何の問題があるのか?

死刑するに当たって、憎しみや哀れみなどの感情は一切、不要。
人を殺したいと思う奴に同情する必要は無い。

命の大事さが分からない者に同情する必要は無い。

このような気持ちは、
http://www.youtube.com/watch?v=aUB0Rk9ab3w
のビデオで武田鉄矢さんが演じている人が述べていることに近い。

さらに、成人していないから(少年法)とか精神的におかしいからとか、責任能力がないからという理由で、人を殺しても罪が軽減されるということを利用しようとする奴もいるだろう。

精神鑑定などを行う理由として、危険人物を拘留する時間を長くするためということもあるのかもしれない。日本では二人以上を殺さないと死刑にならない場合が多そうだ。死刑にならなければ、無期懲役でも良いのだろうが、無期懲役にするにしても、刑務所に入れておくだけでもお金も労力も必要になる。だからこそ、死刑にすべきだ。

お金の問題では無いことは分かってはいるが、死刑にせずに精神病院に入れたり、刑務所に入れたりしても、その人を生きながらえさせるために、かなりのお金もかかる。公正させようとするのにも労力やお金がかかる。また、刑期を終えて、刑務所や病院から社会に復帰しても、犯罪者ということが他の人に分かっていれば、再就職なども困難であり、そのために再度犯罪を起こす可能性もある。なので、いっそのこと、死刑にした方が良い。

私はどれだけ腹が立っても、目の前に居る人を殺したいと思ったことは無い。殴りたいと思ったことはある。でも、怪我をさせたいとか障害を残したいとか思ったことはない。間違ったことだと思ったら、口で指摘する。北朝鮮などの独裁者達や、教育を求める女子を殺すようなイスラム過激主義の奴らは話しても分かるような人間ではなさそうなので、死んだ方が良いと思っているが、殺したいとは思わない。

自爆テロをする人が居る。
息子を殺された、嫁さんを殺された、父を殺されたなど、家族や親しい人、友人を殺されたという理由で、敵を憎んで殺そうとする人も居るだろう。
そのような人に対しては同情の念も起こる。でも、あえて、憎しみで他の人を殺した人も死刑にすべき。
というわけで、イスラエルやハマスで戦争をして人を殺した人も死刑。
もちろん、そのように戦争を指導した(直接には人を殺していなくても、敵兵を殺すように指導した)指導者も全員死刑。

難しいのは、人を殺したくなかったが、戦争などで上官に命令されて、従わないと自分が殺されるから、仕方なく敵兵を殺した人。
このような人を死刑にすべきかどうかは分からない。