2010年1月23日土曜日

議論の仕方

中学生からの論理的な議論の仕方
http://ronri2.web.fc2.com/index.html
というサイトを見つけた。
面白い。

「もう中学生」ではないが、中学生に戻って、「初心忘るべからず」で勉強のし直しだ。

「議論適性チェックリスト」
に答えてみた。
結果、「はい」は
4,6,11,12,15,18,21,23,24
であり、
14については、「レトリック」の意味が分からなかったので、答えられなかった。
それ以外は全部、「いいえ」だった。

解説を見ると、
<引用>
4.12.15.18.21には「はい」、それ以外には「いいえ」と答えた人ほど議論が得意なタイプでしょう。管理人も完璧ではないので外れててもあんまり気にしないでくださいね。
<引用はここまで>
らしい。24問中、19問の割合で、「議論に強い」らしい。ホンマカイナ。
「論理的思考力のテスト」は、こんなの簡単。答えは「5」と「I」。
http://ronri2.web.fc2.com/hanron05.html#21
を見ると、正解らしい。
この問題の一般の正答率は数%であると言われているらしいです。
ホンマカイナ。
職場の先生にはほとんどの場合、議論に負けてるけど。
あ、周りが強すぎる?
学生さんに負けたりもしたり・・・。
あ、そういえば、家内にも結構負けているなぁ。五分五分かなぁ。若年性痴呆症だし・・・。

「餌をくれないから、餓死します」

思わず、吹き出したコメントである。
創成CIRCLEのWG会でM先生が、最近の学生さんの傾向を表現されたものである。

創造性と環境

未知のものを探求するというのは面白い。
未知のものなので、そこには当然失敗が付きまとう。
しかし、最近は効率主義だ。失敗しないこと、いかに、最小限の労力で最大の利益を得るかが重要視されている。こうなったら、創造力は減るだろう。

指導している学生さんからもよく言われる。「成功する実験方法を教えてください。」
そんなもんが分かっている研究はあまり魅力的ではない。
でも私が指示した実験が失敗すると、「あの先生は無能力だ」と言われる。
まぁ、その通りだろうけど。
(実験に「失敗」なんてものは無いという話もあるのだが、それについてはここでは述べません。上記の「失敗」というのは「予想通りにならなかった」と読み替えていただいた方が良いでしょう。)

パソコンの分解イベントを行っている。
大学で廃棄されたパソコンを回収し、使えそうなものは組み替えたり修理したりして使うが、どうしようもないもの(低スペック過ぎるものや、故障品)は、元気プロジェクト祭りで、子供たちに分解してもらっている。
中身を見るのは楽しいのだ。
そして、組み直してみて、元通り動作するのも楽しい。
どのような仕組みになっているのかを見れば、そこから知識が増える。
場合によっては、他のものを取り付けることで、故障が治ったりする。
故障して写らない液晶モニタを学生さんが、四苦八苦しながら、自分の力で修理したのを横で見させてもらって、本当に感動した。(2010/1/23追記:私にも彼にも最初は無理なことでした。彼はまさにその場で成長し成功したのです。)

分解して、ネジが余ったりするが、無事に元通り機能したりする。
知り合いの先生とお話しさせていただいたら、
「子供のころはとにかく回りのものを分解して組み立てまくってみた。
ネジが余っても、元通り動いたりして、無駄なものが何と多いのかと気づいたりした。
しかし、最近は難しくなりすぎて、分解しても面白くない。
どうなっているのかが分からないのだ。」
とおっしゃっていた。本当にそう思う。

「どのようになっているのかは分からないが、使いこなせる」ということだけに自尊心を持っているというのはむなしい。でも、社会はそのようなことを目指しつつ有る。
MicrosoftWindowsのOfficeSpecialistや、ウィルスの蔓延にも、似たような現象が関わっているように思える。

LinuxでUbuntuを使っているときの楽しみにも、似たようなものがある。
壊れるかもしれない。でも、分解してみたい。どのように動作しているのか、知りたい。

それで、危険なコマンドを平気で実行する。壊れても、復旧は簡単にできるようにしてある。

そのような環境が周りにあることが大事だと思う。

壊しても良い環境。(意味を勘違いされると非常に危険ですが。)

でも、LinuxのUbuntuフォーラムでも、「初心者には危険なコマンドを教えるな」という雰囲気がある。残念だ。

「何のために勉強するのですか?」という問いにも、関係していると思う。

昔、NHKの番組で鈴木さんと言う人が言っていたのをうろ覚えしている。
”知ることが楽しいから。”・・・まさに、それなのだ。
大学ってそんなもののためにあるのではないのか。

なのに、最近は、「良い大学に入るため。良い企業に就職するため。」・・・ダメだ。こんなんじゃ。