職場でお話しした方でも、Ubuntu日本語フォーラムでも、何か問題が生じたときに、解決策を見出そうとしたら、私のやろうとしていることは「制度上、できません」と指摘する人が居ました。
自然法則など、人間が決めたものではないこと、それに逆らうことをしようとして、それが「できません」というのとは根本的に異なります。例えば、万有引力を消し去るとか、永久機関を作るとか、そういうのが「できません」というのは、科学的知識を有しているという、優れた判断能力でしょう。
また、自然法則ではなくても、人間の性とか、そういう一般的なことを観察して、それに反することは「できません」というのも、判断能力が高いということになると思います。
でも、人間が便利にするために作り上げたもの、たとえば、OSだとか、インターネットだとか、そのようなものについて、「制度上できません」というのは、その仕組みをよく理解していないから、その仕組みを改変することもできないから、行いたいことを何とか実現可能にするための方策を考えることが(その人は)「できません」という、発言者の無能さを露呈する言葉に過ぎないと思います。
もちろん、その制度を知っているということで、知識は優れた人でしょう。でも、解決策を考えるという思考能力の乏しい人だということになります。あるいは、考えるのは面倒なので止めたという、考えるのが面倒だと思う人だということです。覚えるという勉強はできても、問題解決のための思考能力はないという「(制度に従順に従う)おりこうさん」だということです。
そんな人に関わると時間の無駄なので、関わらない方が良いです。知識があればあるほど、「こういうことは禁止されている」とか、「それもしてはいけないことになっている」「そういう制度は用意されていない」とか次々に既存の制度を羅列されて批判されるだけです。
なぜ、他の人が押し付けた”制度”にそれほど縛られるのか?
制度至上主義であり、制度によって人の夢がつぶされても良いと考えているのでしょう。
余段ですが、タクティクスオウガで言えば、LAWでしょう。まぁ、場合によっては、私の目指していることが、私だけの利益にしか結びつかないことであり、社会全体からして損をすることだということで、「賛成できない。協力できない。」ということも往々にしてあった可能性もありますが。
頭ってのは、現存する問題を解決するために、既存の考え方を打破するために付いているのですから。
ムヒカ大統領も言ってました。
「発展は幸福を阻害するものであってはいけない」
あ、日本語ではなくて、誰か他の人が訳したものなので、実際にムヒカさんがおっしゃったのはニュアンスが若干異なるかもしれませんが。
私は思っています。
幸福を阻害する法律なら改正すれば良い。
幸福を阻害する神は、神のお面をかぶった悪魔なので、信じてはいけない。
もっと、幸福を追求することに自信を持てば良いと思うのですが。