2009年11月28日土曜日

日本語でうまくやり取りできない人その(ア)フォー

番号も4番で縁起も悪いので。(意味不明)

昨日、創成教育に関するシンポジウムがありました。

企業の方に希望する研究テーマを出してもらったりして、企業の方に学生をサポートしてもらい、学生と一緒に検討して成果を発表会で発表しあい、優秀者を表彰するというものが発表されていました。

教員の時間も人数も不足してきているので、地域の、企業の教育力を活かしてうまくやっておられると感心しました。

そこで、質問の時間に「教員は何をしておられるのですか?」と質問しました。すると、発表者の方の声が一瞬止まりました。アレ・・・何かヤバい雰囲気・・・。

発表者の方が、しばらくしてから、「・・・さん、裏話しても良いですかね?」と私にではなく、共同発表者の方に確認している様子。

しばらくして、もごもごとお茶を濁すような感じで「企業の方と学生が交流するのも良い経験になりますし、直接企業の方とやり取りする方が良いということで、教員はなるべくタッチしないようにしています。教員は、モニタして成績評価することを行っています。」のように答えられました。

とっさに、文部科学省とか金銭的サポートをされている方に、教員がサボっているかのように取られるとまずいのかと判断しました。もしかして、文部科学省の方が来て、聞いておられるのかもしれないとも思いました。

そこで、あせって、「お答え辛いような質問をして済みませんでした。」と伝えて引き下がりました。

本当は、教員の負荷を上げずに、学生と企業の方の橋渡しをすることで良い教育システムを作られていることを賛美したかったのですが、教員がサボっているかのような否定的な意味合いの批判として、私の質問が認識されてしまったようです。

こういうことがよくあります。

どうも私はよくあるのですが、誰か他の人から、AがBであることが悪いということを伝えられて同意を求められた時に、そのとおりだと言おうとして、「AがBであること・・・」なんて言い出すと、逆にAがBであることを私が賛美しているかのように全く逆に取られてしまい、喧嘩みたいになってしまいます。なんで???

これは私の声と顔つきに原因があるような気もします。

自分で自分の録音した声を聞いて、びっくりしたことがあります。

すごく威圧的で偉そうな批判しているようなぶっきらぼうな声なのです。

また、私は生まれつき、左の眉毛が上がりません。いつも左の眉毛の眉間あたりが下がっていますから、睨んでいるように見えます。

前にもこのBLOG(というか移ってきた元のM社のBLOG)で書いたかもしれませんが、店で何気なしに商品を見ていたら、睨んでもいないのに、他の人から「何、にらんどんねん。おう。」と言いがかりをつけられたことがあります。

損しているなぁと思います。だからこそ、余計に、人に会ったら挨拶するようにしています。何も言わずに通り過ぎたりすると、「あいつ、この間会ったら、にらんどったぞ。」とか誤解されそうですから。

そうです。日本語でうまくやり取りできないのは、この鈴木清です。

人というのは、他の人が自分と同じ欠点を持っていると、自分の嫌なところが気になって、余計にその人を批判したくなるものなのです。

そう。ここで、他の「日本語でうまくやり取りできない人」を批判してきたのは、私自身が日本語でうまくやりとりできないからかもしれません。

1 件のコメント:

鈴木清 さんのコメント...

でも、そういう人に、批判することで、一時的には嫌がられたとしても、「そうかなぁ。」と反省して、その人が行動を修正するための材料にちょっとでもなるのなら、憎まれても良いです。

どうせ、私もいつかは死ぬのですから。