2010年12月31日金曜日

研究者になったわけ

12月30日

研究室には誰も居ない。
雑用は残っているが、今日は研究者でいられるだろう。

解決してほしいと企業から言われたお願いがある。
目標を達成すべく、まず論文を漁る。WEBなら一瞬で手に入ったりする。
実際、3報をすぐに見つけてしばし読む。便利になったものだ。

まずまず解決法の素案が頭に出来たので、ちょっと練る。

自分なりの解決策と、それがうまくいきそうかチェックする方法、そして、どのような実験プランなら効率的か考える。

実行する。わくわくする瞬間だ。

3つ考えたのだが、一つがうまくいくかもしれない兆候があった。
限りなく嬉しい。まだまだ解決すべき難関があり、道は遠いのだが、それでも嬉しい。

最近、長時間がとれず、自分で実験する機会が少なかった。というか、「雑用があるから。」「時間がないから。」と自分に言い訳して、自分で実験するのを避けていたのかもしれない。

学生時代のことを思い出した。

貧乏な家庭で育ち、親は喧嘩ばかり。
体も弱いし、勉強して知識を身に付けて、大会社に入って、裕福になってやろうと、勉強した。
そのうち、自分の力がついて、いろいろな問題を机の上で解決できるようになって、勉強が楽しくなった。
大学に入って、研究室に配属され、就職活動を始めようとしながら、研究を始めた矢先、指導してくれる先生が病気で倒れられた。
自分で研究室の先輩の情報とかを調べて、実験結果に解釈を付けた。
指導してくださった先生が職場に復帰され、私と一緒に教授のもとでディスカッションしたとき、「これは鈴木くんが考えてくれたんですが、・・・」との前置きに、私の考えたことを教授に先生が言ってくださった。
たまらなく嬉しかった。
自分の培った能力、自分のアイデアが(ちっぽけだったかもしれないが)人に認められた瞬間だった。そして、自分のアイデアが、実験結果から裏付けされた。
研究はとてつもなく面白いと思った。知能の限りを尽くして、自然を解明し、応用し、結果から証拠を取る。
貧乏な親だったが、就職せずに大学院に行くことを認めてくれた。父親も(学業は優秀だったのに)貧乏で大学に行けず、悔やんだことがあったようだ。
大学院では、知り合いが楽しくはしゃいで遊んでいる中、自分が興味を持った研究に打ち込んだ。世界のやつらがどこまで分かっているのか文献を読んで調べ、新しいことを切り開く・・・それが面白かった。
夜中に良い実験方法を思いつくと、研究室まで冬の寒い中、30分もかけてバイクを飛ばして行って、明け方まで実験した。
朝、出勤してきた先生の声で眼が覚めることも度々あった。

(誰かが既にやっているかもしれないのだが)自分が知らないこと、「誰もやったことがない」と思われることをやってみる楽しみ。

思い出したような気がする。

企業から依頼された時は、「忙しいのに、たまらないなぁ」とは思ったが、おかげで、
実験の楽しみを思い出せたような気がする。

0 件のコメント: