小学校などで「命の大事さ」の教育が必要だとか言われているが、そんなもの、物心付いたら、すぐに教えるべきだ。義務教育に任せる必要も無い。家庭で保護者が教えるべきことだ。
私が小学校くらいのころ、弟が0歳で亡くなった。それで、子供ながらに考えた。死んだらどうなるのだろうか?と。知っていた人が数名、自殺して亡くなっている。近所で楽しくお話しさせていただいていた方が、病気や高齢で亡くなられている。可愛がってくれた祖父母も亡くなった。とても楽しく付き合ってくださった義父も亡くなられた。
とてつもなく、悲しいし、寂しいし、残念だ。
仏教では輪廻転生なんてことが言われているし、地獄や天国、三途の川やあの世なんてことも言われている。でも、私は死んだら終わりだと思う。確証は無い。
もちろん、亡くなった方を、生きている人が思い出したり、イメージして心の中で話しかけたりすることはよくあるが、それは、亡くなられた方が主体的に思考しているわけではない。私は生きて、考えていたい。
好きなドラゴンボールでも、死者が簡単に復活するが、そこだけは嫌いだ。どうも、有害な考えを助長するようなアニメや漫画や映画が世には溢れすぎだと思う。
長崎県佐世保市女子児童殺害事件(いわゆるNEVADA事件)でも、殺人者はバトルロワイヤルが好きだったらしい。少年誌ジャンプでも、人を惨殺したり、人の痛みを喜ぶ変態の描写がある。漫画はマンガ、現実は現実と分けられないような人間には読ませてはいけない。
殺される側の気持ちを考えてみれば、殺す気には絶対になれない。私は死にたくないからだ。
いじめられる側の気持ちを考えてみれば、いじめる気にはなれない。いじめられたくないからだ。
そのような相手の立場になって考えることができない、未熟な者に、有害なアニメなどは見せてはいけない。
命は大切だ。そんなことも教えてもらっていない、もしくは気づけていない人間は愚かすぎる。
我々人間は多くの他の生き物の命を犠牲にして生きている。今朝も、小エビを大量に食べた。牛、豚、鶏、魚、沢山の命を犠牲にしている。申し訳ないことだ。かと言って、菜食主義にはなっていないのだが。
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