2010年4月28日水曜日

日本語が正しく理解してもらえない

どうしてこれほど、日本語ができない人が多いのか。

私の書いたことを誤って解釈し、その誤った解釈に対して、批判する人が多いです。
<2010/5/2追記:上の文章が誤解されやすいというご指摘をfailurenoticeさんからいただきました。failurenoticeさんに御礼申し上げます。「私の書いたことを誤解して(誤解した内容について)私を批判する人が多いです。」という意味です。>

国語を正しく教育して欲しいです。

また、誤解するばかりでなく、曖昧な表現しかできない人もいます。

質問者の質問が曖昧で分かりにくい表現だったりすると、具体的に書いてくださいとお願いするのですが、なぜだか、具体的に本当のことを書いてくれないことがあります。
また、トピックが長引いて、質問や要望が次々に新しくなっていくので、今、何を要望されているのかが確認したくなり、問い合わせたりすると、「最初から書いているつもりなのですが」なんて、書かれることもあります。

こちらは超能力者ではないので、相手に具体的に正確に伝わるように書いてほしいのですけど。

やはり、日本語が正しく使えない人が多すぎるように思えます。

18 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私には、どっちもどっちと言う気がするのですが。

「私の書いたことを誤って解釈」しているAさんがいますね、そして、「その誤った解釈に対して、批判する」Bさんがいます。
つまり、BさんはAさんが間違っていることを指摘していて、かつ、「私」が正しいことを肯定しています。

「私」はAさんについての国語力を問題にしているのですか?それとも、Bさんのそれですか?
これだけ短い文章なのに、このような矛盾が生じてしまっているのですから、日本語力はどっちもどっちですよね。

鈴木清 さんのコメント...

failurenoticeさんへ

まずは、ご意見をくださり、有難うございました。

ただし、failurenoticeさんは小生の書き込みを誤解されています。

小生の最初の書き込みは、
「私の書いたことを誤って解釈し、その誤った解釈に対して、批判する人が多いです。」
です。

「私の書いたことを誤って解釈し、」で、次の「その誤った解釈に対して、批判する人」につながっているのですから、誤って解釈する人と、その誤った解釈に対して批判する人は同一人物です。

小生を批判される前に、ご自身が国語の勉強、特に読解力を付けられた方が良いと思います。

鈴木清 さんのコメント...

failurenoticeさんが2010年5月1日1:58に以下のような書き込みをされました。
その書き込みが消されても、内容が残るように、下に記して置きます。

<以下、failurenoticeさんが2010年5月1日1:58に書き込まれた内容>
私には、どっちもどっちと言う気がするのですが。

「私の書いたことを誤って解釈」しているAさんがいますね、そして、「その誤った解釈に対して、批判する」Bさんがいます。
つまり、BさんはAさんが間違っていることを指摘していて、かつ、「私」が正しいことを肯定しています。

「私」はAさんについての国語力を問題にしているのですか?それとも、Bさんのそれですか?
これだけ短い文章なのに、このような矛盾が生じてしまっているのですから、日本語力はどっちもどっちですよね。
<failurenoticeさんが2010年5月1日1:58に書き込まれた内容は以上>

鈴木清 さんのコメント...

まさに、failurenoticeさんが、私の書いたことを誤って解釈し、その誤った解釈に対して、批判する人ですね。

良い例を示してくださったような気がします。

鈴木清 さんのコメント...

ただし、小生にも反省すべき点はあります。

「私の書いたことを誤って解釈し、その誤った解釈に対して、批判する人が多いです。」と記しましたが、
「解釈」が良くない表現でした。

(誤って)解釈した内容を意図していたのですが、「解釈する行為そのものを批判する」という意味に取れば、failurenoticeさんのご指摘も分かるような気がします。

ただし、その場合でも、同一人物であるにせよ、他の人物であるにせよ、小生は、”無実の罪”で批判されることになるので、その誤った解釈をした人も国語力がありませんし、また、その誤った解釈が誤っているということを認識できずに小生を批判するのなら、その批判した人も国語力が無いと言えます。

したがって、
<以下はfailurenoticeさんの2010年5月1日1:58のご投稿の引用>
「私」はAさんについての国語力を問題にしているのですか?それとも、Bさんのそれですか?
これだけ短い文章なのに、このような矛盾が生じてしまっているのですから、
<failurenoticeさんの2010年5月1日1:58のご投稿の引用は以上>
という「矛盾」など生じていません。

failurenoticeさんの国語力には以上のように、複数の点で問題があると判断いたします。

小生も自分に国語力が無いと自覚しています。

偉そうに書きましたが、お互い、誤解しないように、また誤解されない文章を書くように頑張りましょう。

偉そうに書きまして、済みません。

failurenoticeさんの批判が妥当で無いと判断して、小生が腹を立ててしまったもので。

匿名 さんのコメント...

単純に、私が書いたことを誤認して批判する人がいる、と言うことを書きたいのであれば、
「私の書いたことを誤って解釈し、批判する人が多いです」とだけ書けばよいのです。
これであれば、どこにも誤解の余地がありません。

よく考えてみてください。
「その誤った解釈に対して」を分解してみましょう。
前半の「その誤った解釈」の部分は特に問題はありませんね。
そのあとの「に対して」はどうでしょう?
これはどこに掛かっているのでしょうか?
常識的に考えてもその前の「誤った解釈」ですよね?

では、「批判する人」は誰(或いは何)を批判しているのでしょう?
「その誤った解釈」を批判しているんですよね?
kiyoshiさんが仰るように、人物が2人居るのでないならば、「批判する人」の批判対象は「私の書いたことを誤って解釈し(ている人)」の方でなければおかしいです。
しかし、そのように読むことはコンテクスト上不可能であり、曲解になってしまいます。
それでも矛盾は無いということなのでしょうか。

日本語の語法を少しだけ分かっていれば、
「私の書いたことを誤解している人」
(「私」の書いていることは間違いだと思っている人)
と、
「その誤解こそが間違っていると言っている人」
(その誤解こそが誤解であり、つまり「私」の書いていることは間違っていないと言っている人)
の、
別々の人格が存在することは、議論の余地が無いと思うんですがねえ。

鈴木清 さんのコメント...

failurenoticeさんへ

<以下は、failurenoticeさんのご投稿の引用>
私が書いたことを誤認して批判する人がいる、と言うことを書きたいのであれば、
「私の書いたことを誤って解釈し、批判する人が多いです」とだけ書けばよいのです。
<failurenoticeさんのご投稿の引用は以上>
をご投稿くださり、有難うございました。
確かにそうですね。既に書いていますが、小生も国語力が無いのです。

ただし、合理的な思考力を有する人なら、
小生が最初に書き込んだ
「私の書いたことを誤って解釈し、その誤った解釈に対して、批判する人が多いです。」
を誤解しないはずです。

ただし、「解釈」という表現が問題であったことについては、既に、2010年5月1日12:31の投稿で記しています。

「私の書いたことを誤って解釈し、その誤った解釈に対して、批判する人が多いです。」をよく読んでみてください。「解釈し、」と「批判する」を行うのは同一人物と考える方が妥当です。同一人物では無いとか、人格の乖離した人だとみなす方が曲解です。

「解釈」には「解釈(誤解)したという行為」という意味と、「解釈(誤解)した内容」という意味がありますが、前者が正しいとすると、自分の誤解を批判することになります。まぁ、そういうことを小生が書いているようにも思えますが、そのような場合でも、国語力の無さ(誤解したということ)を小生が批判するのは妥当でしょう?

むしろ、後者、つまり、誤解してその解釈(内容)に対して批判するというのは、・・・意味が通じますよね?

「おかしい表現だな」と思ったときに、自分が誤解していないかと考え直すことが合理的な思考に必要だと思います。

引用しておきます。
<failurenoticeさんのご投稿内容の引用は以下>
単純に、私が書いたことを誤認して批判する人がいる、と言うことを書きたいのであれば、
「私の書いたことを誤って解釈し、批判する人が多いです」とだけ書けばよいのです。
これであれば、どこにも誤解の余地がありません。

よく考えてみてください。
「その誤った解釈に対して」を分解してみましょう。
前半の「その誤った解釈」の部分は特に問題はありませんね。
そのあとの「に対して」はどうでしょう?
これはどこに掛かっているのでしょうか?
常識的に考えてもその前の「誤った解釈」ですよね?

では、「批判する人」は誰(或いは何)を批判しているのでしょう?
「その誤った解釈」を批判しているんですよね?
kiyoshiさんが仰るように、人物が2人居るのでないならば、「批判する人」の批判対象は「私の書いたことを誤って解釈し(ている人)」の方でなければおかしいです。
しかし、そのように読むことはコンテクスト上不可能であり、曲解になってしまいます。
それでも矛盾は無いということなのでしょうか。

日本語の語法を少しだけ分かっていれば、
「私の書いたことを誤解している人」
(「私」の書いていることは間違いだと思っている人)
と、
「その誤解こそが間違っていると言っている人」
(その誤解こそが誤解であり、つまり「私」の書いていることは間違っていないと言っている人)
の、
別々の人格が存在することは、議論の余地が無いと思うんですがねえ。
<failurenoticeさんのご投稿の内容は以上>

オフトピ:ちなみに、小生は少なくとも4重人格です。どいつらもあまり役に立ちませんが。でも、自分の考えを反省するためには役に立っているかもしれません。

匿名 さんのコメント...

「解釈」と言う単語を問題にしているのではありませんよ。
そんな些末なことで、私はわざわざ噛み付きません。
合理的に判断したからこそ、意味が分からないと申し上げているわけで。

kiyoshiさんが仰りたいことを、下記のように書き直してみれば、もっと良く分かってもらえるでしょうか?

「私の書いたことを誤って解釈し、その誤った解釈を鵜呑みにする人の実に多いことか!」
とか、
「私の書いたことに誤った解釈や批判をする人が多くて困るので、もう少し国語力をどうにかして欲しい、云々・・・」
とか。

どちらもほぼ同じことを言っていて、少し表現を変えただけなのですが、kiyoshiさん的に受け取り方にブレがありますか?
ごく素直に読めば、読み違いはまず生じないと思うのですが。

それに比べて、
「私の書いたことを誤って解釈し、その誤った解釈に対して、批判する人が多いです。」
は、
まさしく、「曖昧な表現」だと思うのですけどね。

正直、些末なことを問題にしているのは分かっているのですが、国語力がどうとか、日本語を正しくとか仰っているので、とても私には気になるのです。
私自身、そこその日本語運用能力しかありませんが。

鈴木清 さんのコメント...

failurenoticeさんへ

書かれている内容は大体分かりました。
有難うございました。

解釈という言葉の認識の違いが原因となり、小生の書いたことを読んでいる人が誤解する可能性があったことについては既に記したとおりです。

つまり誤解を生じやすい(曖昧な?)表現だったということは認識しております。

しかし、論理的に検討すれば、ありえない解釈を排除して、小生の意図していたことを予想することはできたでしょう。

failurenoticeさんには、とにかく、小生を批判したいという気持ちだけが残っているだけでしょうか?

そういう感情に対してご返事するのは今回限りにしておきます。

鈴木清 さんのコメント...

あ、引用させていただきます。

<failurenoticeさんのご投稿の内容は以下>
「解釈」と言う単語を問題にしているのではありませんよ。
そんな些末なことで、私はわざわざ噛み付きません。
合理的に判断したからこそ、意味が分からないと申し上げているわけで。

kiyoshiさんが仰りたいことを、下記のように書き直してみれば、もっと良く分かってもらえるでしょうか?

「私の書いたことを誤って解釈し、その誤った解釈を鵜呑みにする人の実に多いことか!」
とか、
「私の書いたことに誤った解釈や批判をする人が多くて困るので、もう少し国語力をどうにかして欲しい、云々・・・」
とか。

どちらもほぼ同じことを言っていて、少し表現を変えただけなのですが、kiyoshiさん的に受け取り方にブレがありますか?
ごく素直に読めば、読み違いはまず生じないと思うのですが。

それに比べて、
「私の書いたことを誤って解釈し、その誤った解釈に対して、批判する人が多いです。」
は、
まさしく、「曖昧な表現」だと思うのですけどね。

正直、些末なことを問題にしているのは分かっているのですが、国語力がどうとか、日本語を正しくとか仰っているので、とても私には気になるのです。
私自身、そこその日本語運用能力しかありませんが。

2010年5月1日21:54

匿名 さんのコメント...

つくづく面白い人だなぁ。
「解釈」と言う言葉の問題ではないと書いているのに、敢えてそれを問題にするのですか。

kihoshiさんが書いたことを他の人が誤解するのじゃなくて、kiyoshiさん自身がすでに誤解している、と言うことが分からないとは。

「failurenoticeさんには、とにかく、小生を批判したいという気持ちだけが残っているだけでしょうか?」
と言うのも、とても面白い表現です。
私は、kiyoshiさん本人をいつ批判しましたか?

鈴木清 さんのコメント...

合理的に判断して、「解釈(誤解)した内容に対する批判」という意味だと理解できれば、小生が意図した意味のとおりに理解できるはずだということです。

また、既に、小生が書いた「私の書いたことを誤って解釈し、その誤った解釈に対して、批判する人が多いです。」は誤解を生じる可能性のある、「あいまいな?」表現だったということについては記しています。

それなのに曲解して、「おかしな日本語だ」と批判されるのは、小生を批判したいだけのようにしか思えません。

「つくづく面白い人だなぁ」という表現は、小生への皮肉や罵倒だけの意味しかなく、内容を有意義な議論にするためには必要の無い表現だと思います。
このような、バカにするような表現を小生に対して行う時点で、
「failurenoticeさんは、小生に批判がしたいだけではないか」のように思ってしまいます。以後、このような表現はされない方が良いですよ。

何がお望みですか?

鈴木清 さんのコメント...

それと、私が誤解していると書かれていますが、どこで誤解しているのかが理解できません。

鈴木清 さんのコメント...

それと、やはり、解釈という言葉が問題だったと認識しています。

鈴木清 さんのコメント...

で、消されないように引用しておきます。

<failurenotice さんの2010年5月1日23:54のご投稿の引用は以下>
つくづく面白い人だなぁ。
「解釈」と言う言葉の問題ではないと書いているのに、敢えてそれを問題にするのですか。

kihoshiさんが書いたことを他の人が誤解するのじゃなくて、kiyoshiさん自身がすでに誤解している、と言うことが分からないとは。

「failurenoticeさんには、とにかく、小生を批判したいという気持ちだけが残っているだけでしょうか?」
と言うのも、とても面白い表現です。
私は、kiyoshiさん本人をいつ批判しましたか?

鈴木清 さんのコメント...

ちなみに、

<failurenoticeさんの2010年5月1日21:54のご投稿内容の引用は以下>
kiyoshiさんが仰りたいことを、下記のように書き直してみれば、もっと良く分かってもらえるでしょうか?

「私の書いたことを誤って解釈し、その誤った解釈を鵜呑みにする人の実に多いことか!」
とか、
「私の書いたことに誤った解釈や批判をする人が多くて困るので、もう少し国語力をどうにかして欲しい、云々・・・」
<failurenoticeさんの2010年5月1日21:54のご投稿内容の引用は以上>

と書かれていますが、これでは、小生の意図していたこととは若干違う意味になります。分かりますよね?

やっぱり、国語の勉強をされた方が良いと思いますよ。

もしも、この書き込みの内容を理解できないようでしたら、解説いたします。

鈴木清 さんのコメント...

言葉として、批判したことが明確に認識できなくとも、内容から判断して「批判している」と取れることはあります。

failurenoticeさんの
「どっちもどっちと言う気がするのですが」

”それに比べて、
「私の書いたことを誤って解釈し、その誤った解釈に対して、批判する人が多いです。」
は、
まさしく、「曖昧な表現」だと思うのですけどね。”

は明らかに小生への批判でしょう。

そんなことも分からないのでしょうか?

もしも小生への批判ではなく、小生の書いた上記の内容への批判だとしたら、上記の内容については既に「曖昧?」な誤解されやすい表現だと認識していますし、そのように以前の書き込みで記しています。

にも関わらず、failurenoticeさんは小生への批判を続けられるのですから、「failurenoticeさんは小生を批判したいだけ」のように思えてしまうのです。

済みませんが、日本語で正しくやり取りできない人と、無駄な議論を続ける気は毛頭ありません。遺恨が残るだけですから。

鈴木清 さんのコメント...

解釈という言葉の意味ですが、
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E8%A7%A3%E9%87%88&enc=UTF-8&stype=1&dtype=0

http://kotobank.jp/word/%E8%A7%A3%E9%87%88
で調べてみると、解釈する行為そのものが多く取り上げられており、解釈した内容という意味の名詞であるとは明確には記されていません。

ただし、「説明」という表現がなされています。これが、解釈した内容を指す言葉に近いかもしれません。

また、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E9%87%88
では
<引用>
注意を喚起させるための用法

同じ文章・作品・物事であっても、理解しようとする人の個人的な立場や関心によって、理解の仕方が異なる時に、その理解を「解釈」と呼ぶ。そこに相対性や恣意性があるということを注意させるために、あえて「解釈」と呼ぶ。
<引用はここまで>
とあります。

法解釈
にも、各人が解釈した内容という意味があると思います。

でも、一般的に、「解釈」は解釈する行為そのものを意味することが多く、解釈した内容を意味することは少ないのかもしれません。

小生が「解釈」という言葉を長い間誤解していたのかもしれません。