昨日のエコロジー&アメニティ・プロジェクトで遊房さんの発表で共感するものがあった。
遊房さんは、子供たちの遊びを考え、子供たちと一緒に遊びの場を作っておられる。
私が、「イベントをやると、子供たちが受身になってしまわないか」と質問したところ、
遊びの場は提供するが、具体的に「何をしろ」のようなことは言わないというお答えがあった。
非常に共感した。失礼な質問だったと思った。
引き続いて、多くの方が質問されたが、自転車リユースの学生さんが質問した。「子供のころは、勝手に裏の畑に入ったりして、野菜取ったりした。親はどのような遊びをして欲しいという要望を持っているか、調査されていますか?」
親の期待はともかくとして、子供の頃を思い出した。
近所には田んぼが広がっていた。川には藻が生い茂り、魚やアメリカザリガニやザリガニが居た。田んぼにはカエルがぎゃあぎゃあ鳴いて、あぜ道には、車に惹かれたカエルの死骸が痛々しかった。カエルを捕まえたり、川に入ってわけも無く友達と行進したり。
近所の神社には、小川が流れ、大きな木が生い茂っていた。意味もないのに、友達と木に登り、どれだけ高いところに行けるか、競ったりした。落ちたらひどい怪我をしていたかもしれない。
竹やぶも多く、勝手に竹を折って集めて部屋のようにして秘密基地を作って、自分たちの基地だと、喜んでいた。誰かの所有地だっただろう。見つかったら、怒られていたかもしれない。
誰に教えられたわけでも無い。親が知ったら、怒るようなこともしていた。
研究にも似たようなところがある。
学生さんへの教育でも似たようなところがあるような気がする。
「自然が無く、また子供が減って、集まる機会が少なくて、今の子は可哀想だ。」なんて思ってばかりいるわけではない。
息子は、宿舎の前のわずか、4m×20m程度の場所で近所の子と遊んでいるが、サッカーボールを使って、勝手に自分たちで、どこからどこに当てれば何点・・・なんてルールを決めて、自分たちで遊びを作っている。
誰に教えられたわけではない。自分たちで作った遊びなのだ。
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