2008年12月14日日曜日

人はいずれ死ぬ

2007年11月9日

人はいずれ死ぬ。

私は死ぬのが恐い。何も考えられない時間が来るのがとてつもなく恐い。

可能なら永遠に生きていたい。今が幸せだからなのだろう。

死ぬのを恐れて、泣いてばかりいて、そのまま死んでしまったら、なんて情けない、みじめな人生なのだろうか。そう思って、幸せに活き活き(生き生き?)と生きようとしている。結構、幸せに生きていると思っている。神さまに感謝。

いったいどのようなことをすれば、私は死ぬときに、満足して死ねるのだろうか。大金持ちになって豪勢な生活をすることだろうか?みんなから偉い偉いと崇拝されることだろうか?多くの女性と性交をすることだろうか?研究してノーベル賞を受賞することだろうか?今まで知られていなかった新事実を発見することだろうか?根本原理を解明することだろうか?家族と幸せに楽しく過ごすことだろうか?困っている人を多く助けることだろうか?世界を危機から救うことだろうか?

私は三國志ファンでは無いが、「蒼天航路」というマンガを一時期好きになって、読み耽ったことがある。
印象的だったのは、劉備玄徳が、関羽と張飛と義兄弟になるときの話だ。(史実に基づいていない、フィクションかもしれません。)
何故だか忘れたが、関羽と張飛から悪人と疑われた劉備は、問い詰められる。関羽「お前は何をしたい?金銀財宝を得ることか?名声を得ることか?権力を得ることか?多くの美女と寝ることか?」
劉備は答える。「ああ、それらのことはみな、好きだ。」
関羽は怒って、張飛に命じる。「張飛、青龍刀を持てい!」関羽は劉備の額を床に付けさせ、劉備の頭の上に青龍刀を振りかざす。劉備は続ける。「しかし、もっと嬉しいことがある。」
関羽は恐ろしい顔で問いただす。「何だ?!それは?!」
劉備が答える。「喜ぶ民の顔を見ることだ。」
途端に、関羽は青龍刀を投げ出して、後ろにひっくりかえり、どすんと座り込む。劉備は起き上がって、希望に満ちた顔で言う。「関羽、私という杯の中身にならんか。もしもお前が器を邪魔だと感じたなら、そのときは杯を砕けば良い。」

私の器、そしてその中身は何なのだろうか。

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